【BS11】偉人・敗北からの教訓「第42回 シリーズ信長② 信長と武田信玄・突然の裏切り」2024年4月27日放送分見逃し配信
HTML-код
- Опубликовано: 26 апр 2024
- 3週連続で天下人・織田信長の人生における敗北に注目するシリーズの第2回。今回は信長が最も恐れた武将、武田信玄との関係を巡る失敗から、現代に通じる教訓を探る。信玄より13歳年下の信長が織田家の家督を継いだ頃、信玄は北信濃への侵攻を進め、東日本の諸大名が一目を置く存在になっていた。信長の武勇が信玄の耳に届くのは、桶狭間で今川義元を討ち取った時。当時、信玄は川中島で上杉謙信と戦を重ねている最中だった。
尾張統一後、美濃への進出を目指した信長は、隣接する信濃を勢力下に置く信玄と同盟を結び、美濃を平定すると、瞬く間に上洛を果たす。信玄は謙信との和睦の仲介を信長に依頼し、信長もそれに応えるが、都の周辺には敵対勢力も多く信長は苦戦を強いられる。そんな中、信玄が信長の同盟者・徳川家康と対立し、西上作戦を決行。徳川領のみならず、織田領にも侵攻した。信長はなぜ、同盟関係にあった信玄に裏切られてしまったのか?
信長は家康に援軍を送るも、三方ヶ原の戦いで大敗を喫する。その後、信玄は病に倒れ、亡くなるが、信長の怒りは収まらなかった。そして、信玄に対する恨みは、武田家全体に向けられる。信長は長篠・設楽原の戦いで武田軍を駆逐した後、嫡男・信忠を総大将とする軍勢を甲州に送り、武田家を滅亡させたのだ。もし、信玄が生きながらえて西上作戦を続けていたら、その後、どんな展開が待っていたのか?
(2024年4月27日放送の期間限定見逃し配信です。)
#BS11 #織田信長 #武田信玄 #今川義元 #徳川家康 #尾張 #安土桃山時代 #室町時代 #平安時代 #江戸時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年4月27日~5月20日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
• 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
※4月から放送時間が変更になりました。
番組公式HP:www.bs11.jp/entertainment/iji...
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
【BS11+ 公式Instagram】
/ bs11plus
【BS11+ 公式X(旧Twitter)】
/ bs11plus - Развлечения
今回の教訓の「相手の気持ちを忖度しなくなった」は、ビジネスや家庭等いろんな場面で重要な教訓だと思います。
なぜなら、他人が何を考えているか察知しないと上手くコミュケーションがとれなくなりきまづくなり、ぎくしゃくした関係になり破綻するからです。
また、今回の企画のように、織田信長とそれに関わる歴史上の人物を取り上げるのはすごく興味がわきますので、今後も是非続けて欲しいです。
最後に、伊東先生の「アナザーヒストリー」は、伊東先生の史実に基づく歴史小説を読んだきがしてとっても感慨深かったです。これからも、続けて欲しい企画です。
こんな事書くのはおこがましいですが
信長は親近感を感じる人物ですね。
地元の岩村城が沢山出てきて嬉しいです
信長って大名のルールとか考え方とかをきちんと学んでないとしか思えないミスをやらかしまくるんだよね。
荒木村重にしろ、松永久秀にしろ。で、それを理解できてないから、「何が不満か言ってくれれば改善するから」って謝るけど、
その時にはもう相手は「お前の事なんか信用できるか」って段階になってる。
堀さんの革ジャンがカッコいい
そんな事はどうでもええ😏!
信玄さんと信長さんの関係面白かったです。ほかの人物との関係も是非おねがいします
足利将軍家の大戦略に沿っての行動で敵味方共に足利将軍家を奉じている奇妙な構図
足利義昭に振り回されてますね
加来耕三先生はクビ?
たまには見たい
信長は足利将軍を手に入れています。信玄は早く京に入り義輝を手に入れたい。そうなれば形成は変わります。50代の信玄は若さで信長に 敗れました。
信長は10年以上若い。信玄は健康で負けました。知略ある人々だらけの時代ですが、若さは強い。
三方ヶ原の時は義昭ですね
武田信玄の威厳のあるイメージを作ったあの肖像画(この番組の信玄の顔もそれが基になってるようだ)はそもそも別人で、若い頃には文学に耽溺して享楽的な生活をしていたし美少年も好きだし、本当はもっと優男だったんじゃないかとおもう。
信玄は尾張がどんなところか理解できなかったんだろうね。
油断したね。
武田は源氏なので関東中心思考なのでしょうか
武田家を滅ぼした信長こそ勝者
武田晴信過大評価
武田勝頼過小評価
信長も敗者だぞ
@@user-hw1jn2xc4d この二人なら勝者
@@sugisinfkk 勝頼に対する勝者、なんなら二人ともくたばったから俺たちが勝者
この時代の同盟なんて子供の約束より軽いモノだというのは信長、信玄も理解しているはずです。ですので、信玄の裏切りを失敗と捉えるのは違和感を覚えます。信長の幸運は家康の存在だったでしょう。数多の武将から裏切られ続けた信長ですが、信長存命時は家康は同盟を守り続けています。家康にも思うところはあったのでしょうがその筋を通すという姿勢は後の天下人への道に繋がったのではないでしょうか?信長の失敗として挙げるとしたら、失敗から己の誤ちを真摯に学ばなかった事だと自分も思います。
もう少し相手の立場、気持ちに敏感であれば後の歴史も変わっていたかもしれませんね。😊
信長って学習能力がなくて人として何か欠けてますよね。まあ、そういうところが好きなんですけどね!笑僕は
信玄も似たようなもん。
とばっちりは自分に来なかったけど。
まあ、番組の主旨が「歴史上の偉人の失敗から学ぶ」なので、そう言わざるを得ないんですよ。
@kurita1201信長は中二病だと、本郷さんって歴史が言っていたよ。
信ちゃんの運の良さ。
丁度いい時に義昭さんが来たの。。。
チカラは人を変えちゃうんだね。
〇〇ハラとか。。。勘違いもあるけど。。。
武田信玄が徳川家康に対して「三年間の鬱憤を晴らす」といって徳川家康と戦ったきっかけとなったのは、元亀元年(1570)10月に家康が信玄敵対している上杉謙信との同盟を成立させたのが大きかったのではと思います。
今川氏真は永禄12年(1569)5月に掛川城を開城して以降、小田原北条氏の保護下におかれて大名としては再興出来なくなりました。
信玄はそれほど今川氏を気にしなくなったと思います。
善意でやるから悪気が全くないってのもあるんだろうな→信長 身内に滅茶苦茶甘いけど逆に言うならそれ以外に全然配慮が無いというか「これくらいのことやっても相手許すだろ」みたいなフランク過ぎて逆に相手の怒りを買うタイプというか 武田も武田で家康のことを信長傘下の国衆程度に軽く見てたからしんどい目にあったけど(三か年の鬱憤)
だって家康は大した事ないもの、最初は。
@@user-ds4ii5hz9q 最初はね
@@sugisinfkk何繰り返してるの?笑 だから、多分周りが良かったんだろうね、家来が。
@@user-ds4ii5hz9q 信玄もそう思ってたから今川領の分け合いの約束も反故にしてきたからなぁ。 なお大したことないと思ってる奴に上杉・北条を勧誘して包囲網しかけられるという
家康の怖いところは大したことないと思われて、対立or戦ってから怖さを体験するところ
大したことないのなら一向一揆全然収拾できない…(実際は信長らよりも早期に沈静化に成功する)
信玄の死が無かったら武田幕府は家臣団がしっかりしていたので徳川に代わる幕府を作っていたのかな?
と思います。
信玄亡き後7年の歳月を設楽が原の戦まで待つ信長はやはり天稟の才があった様に思います。
信玄と家康のトラブルにも触れて欲しかった。
信玄が後3年生きてれば信長滅ぼせてたな。
先週は道三の敗北の教訓、昨日は信玄に対する信長の敗北の教訓、来週は将軍義昭なのかな、それとも信長再びの敗北の教訓なのかな。楽しみです。それにしても信長はコミュニケーションや根回しも出来ない等学ばないとはね。あの世で信長は家来やいろんな戦国武将達に怒られて、教訓を聞いて反省してほしいです。
昭和の教科書は今とだいぶん違い有る意味決め付けをそのまま覚えてました 例えば長篠の戦いで鉄砲が三段構えで襲ってくる武田を次々に倒したと教科書に堂々と書いてましたしかし実際は長篠の設楽原は畑の湿地でぼこぼこの土地で
三段構えの鉄砲も流石になくて鉄砲で倒したのは事実でも実際の鉄砲も3000丁もなかった
信長の比叡山延暦寺焼き討ちも当時朝廷は誰も否定している形跡無いそうですまた武田も鉄砲を軽視してたわけでなく信長が鉄砲の製造から火薬を全て織田の利権にしているから他国に上手くいきたわらなかった
織田信長は現代では発達障害の説があり 注意欠陥の兆候が見られてると言われてる また他の説では長篠の戦い絵図は秀吉が誇張して書かせた説や信長の緑の着物も秀吉がわざわざ上から塗り替えさせたらしい 切なる願いは今後きちんと歴史が紐解かれて後の人に事実を知る機会が欲しいな
昔の大河ドラマはとにかく思い込みが強いし 明智光秀の謀反も怨恨説など(江戸時代に勝手に話しを作った)俺らの学生時代どうしてくれるってぐらい昔の決め付けた教えに今さらふんがいです
信長のよい面は
下の者に優しい
家臣と馬で出歩いてると毎日見かけるホームレスがいたそれを信長は気に止めてあの者は? 家臣に聴きました 家臣はあの者は身寄りなくまた不自由な身体ゆえあそこで物ごいしまいますと家臣が信長に答え 信長は城に戻り着物たんものなどをみつくろい町(?村)の長にこれを渡すゆえあそこにいつも座って物ごいしてる者に家と食事をと渡しました また付け加えて後の金はお前がどう使っても構わないと告げ渡しました これは真実であって欲しいな
信長も信玄もその時の事情で一時的に同盟結んでるだけだしな。さすがにお市を嫁がせたのに裏切られたときはショックだろうけど。
それはそうと
美人過ぎだろ‥
現代の武田信玄(ホリエモン)・現代の織田信長(ズラタン・イブラ・ヒモビッチ)
武田晴信の自分勝手さが、のちのち武田勝頼にとばっちりが行くことになる
親の因果が子に報いの典型ですね。 勝頼は長篠の戦いでの敗北や武田家滅亡で貶められてますけど、そうなった根本的な原因を作ったのは信玄の方です。
勝頼が家督継承した前後の武田家の状況
信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めた為に信長を謙信への手紙に「武田とは金輪際手を結ばない」と書く程に激怒させたらしいから、外交での織田との関係修復は無理。
その為、織田から鉄砲や鉄砲の弾を作る為の鉛、鉄砲を使う為に必要な火薬の原料、硝石が手に入りにくくなる経済封鎖を受けている。
徳川との関係修復も三方ヶ原の戦いや信玄と家康が共同で今川を攻めた際の今川領を分ける時の約束を信玄が欲を出して破った為に無理(家康も武田に無断で今川と和睦したり、上杉や北条と結んで武田包囲網を作ろうとしたり、信長に武田と手を切るように何度も求めていたらしいからどっちもどっちだが)。
浅井家、朝倉家が滅ぼされ、伊勢長島の一向一揆が鎮圧されて武田と対織田で連携できる相手がいなくなっている。 本願寺顕如がまだ畿内で織田と争っているようだが、敗れるのは時間の問題。
しかも朝倉とか浅井にしてみれば信長の同盟者として散々甘い汁を吸ってきた癖に「動くのが遅い」うんぬん言われる筋合いはないです。
ただでさえ近江と越前までの道は険しい山道な上に、当時の近江は浅井領以外はほぼ織田領だから敵地と言っていい。 敵地で数万人の兵糧や武器弾薬の補給をどうするのかって思います。 越前から届けるとしても険しい山道を通らないといけないから時間はかかりますし。
それにもし雪が降る前に朝倉軍が越前に戻らなかったら、険しい山道が雪で塞がれてしまい、浅井領に押し込まれ、兵糧が尽きて将も兵も餓死し、織田に浅井と一緒になぶり殺しにされるでしょう。 それも弾薬も尽きているから大した抵抗もできずに。
こんにちは
信長ほど「人徳」に無縁な人はいないでしょうね😅
それゆえ、最期にやらかしましたね😢
初期は人に優しかったんだよ
相談にも乗ってあげてた
だが安土城が出来上がったぐらいから変わったらしい
歴史を見ると大義は意味がないのがわかる
また、同盟破棄が敗北とかそろそろシブサワ、コウさんに監修してもらったらどうですかね(笑)西上作戦で手痛い敗北をしたのは家康ですけどね
いい加減信玄の顔は変えた方が、歴史番組としてのリアルがあるのでは?いつまでも間違った肖像画のイメージを引きずってますね。
武田家を滅ぼしたのは信長
信長こそ勝者
松姫と信忠が婚約してたってのは、後世の創作なのかな?
武田信玄に西方遠征の準備が整っただけだと思います。
しかし信玄は京まで制圧出来る事はなかったと思うし(美濃での戦闘辺りが限界)、戦国大名としての運、能力も織田信長の方が上だと思っています。
そして武田軍団の騎馬隊の馬ですが、当時の馬は現在のロバの様に小さく主に運搬に使用と聞くのですが本当に実在したのだろうか。
そりゃゆかりの地で見たからね。立証もクソも無いよ。笑そして戦国時代の馬はそんなに小さくないし、ポニーサイズは江戸時代に、外国からの輸入した馬だそうだよ。
信長と信玄では国力差が大きすぎて、信玄の勝ち目はほぼないと思う
さに非ず、私は伊東先生の考察に同感です👌🤠!
@@ultraman.ultraseven
そう思わない
であるか。
確かに。 信玄は局所では勝てても最終的には兵糧や弾薬などの補給に苦労して、最終的には信長に負けていたと思います。
しかもただでさえ信玄は信虎やそれ以前の時代からの重税をかけ続けていたので、織田が武田領に侵攻してきたら史実での勝頼の時と同様に領民から見捨てられる末路になると思います。
@@user-qc2lq4gu8q
その通りですね。
単なる戦なら武田晴信のほうが遥かに強いですが、総合力がでは織田信長に勝てるわけがない。
武田は根暗だ。
曹操孟徳と織田信長は同質で行う同盟関係は戦略。
諸葛孔明と武田信玄は同質で行う同盟関係は権謀術策。
戦略で行う同盟は強く、権謀術策の同盟は目先の対応になる。
戦略家の曹操は行動気質的に孔明は苦手の相手。
しかし最後は戦略家が勝つ。
信玄と同じ気質の武将はかなり多い。優れている。
謙信・氏康・元就・元親・道三・義昭・本願寺顕如と戦国の世
で実力を発揮した。
信長はこうした相手は基本的に苦手なのだ。戦略で対応した。
信長が幸運なのは道三と敵対関係にならなかったことと家康と
同盟を組めたこと。
強い戦略的同盟が信長を戦国の覇者にのしあげた。
信長が苦手とする相手に成果を上げる武将を取り立てた。
明智光秀・佐久間信盛はこれらの武将と相性が良いので交渉が
出来る人材。しかし成果をあげれない。俺が見込んだのに成果を
あげれぬ人材には腹立たしさが倍加する。
孔明のように自国を守ることは大変優れているが、全国制覇に出
ると失敗する。孔明も三国鼎立で抑えておけばよかったのだ。
信玄も同じ。
同盟の質が権謀術策では弱みをつかれ崩壊する。信長包囲網も崩壊
する。飛び出した信玄は陣中で亡くなる。